マドリード・コード、マドリードの謎

PUENTEFUENTE20064

 

    マドリードのコロンブス広場の隣にあるスペイン国立図書館で、中世・音楽の棚のなかにずっと紛れ込んでいたレオナルド・ダ・ヴィンチの肉筆本が1967年に発掘され話題になり、その7年後の1974年には、5巻にわたって出版されました。この肉筆本は1490年代の終わりから1500年代の初めに書かれたもので、技術工学、機械工学、物理学などのテーマのほか、7メートルの高さの青銅馬上彫刻図案を扱っており、『マドリード・コード』と呼ばれています。

    一昨年の暮れあたりから幾人もの人から話題になっていたベスト・セラー小説『ダヴィンチ・コード』を読んだかい、と聞かれたものですが、こんなにも勧められた本というのも珍しいものですが、まだ読んでいません。レオナルド・ダ・ヴィンチが欧文を右から左に向かって書いていたことは有名ですが、さらにdをbと書くように、まるで鏡に映ったように書いていたことも非常に興味深いものがあります。

     レオナルド・ダ・ヴィンチの肉筆書は、ミラノ・アンブロシアーナ図書館に所蔵されている有名な『アトランティック・コード』、ロンドン・大英国図書館の『アルンディル・コード』、ウインザー・王立図書館の肉筆本の他にも、パリのフランス国立研究学院、ロンドンのヴィクトリア & アルバート美術館、シアトルのビル・ゲートコレクション、イタリア北部のトリノ・王室図書館など世界各地で所蔵されていますが、これらの肉筆本を読み、5年にわたってレオナルド・ダ・ヴィンチ研究し伝記を発表した(THE FLIGHTS OF THE MIND 2004)英国作家チャールズ・ニコール氏によると、上記にあげられた公開されているものの他にも個人蔵あるいはまだ未発掘なものが存在すると推測されています。どうしてレオナルドの肉筆本がマドリードにあったかというのは、スペイン黄金時代と呼ばれヨーロッパ、アメリカ大陸、フィリピン諸島に渡るまで植民地支配していた時代に、スペイン・ドイツにまたがる統治をした神聖ローマ皇帝カルロス(カール)五世とその息子フェリーペ二世が当時建築していたエル・エスコリアルの聖ロレンソ宮殿の彫刻制作依頼をしたイタリア人彫刻家ポンペオ・レオーニがイタリアから来西の際に運んできたといわれています。

     スペイン人作家の中でも好きな作家のアントニオ・ムーニョス・モリーナの作品の中に『マドリードの謎』というタイトルの小説があります。表紙にはアントニオ・ロペスの描いたエンバハドーレス通りの絵画が載っていますが、このアントニオ・ロペスは他にも多数のマドリードの風景画を描いています。アルカラ通りから見たグラン・ビア通りを描いた作品も有名ですが、ちょうどアレハンドロ・アメナバル映画監督の作品『アブレ・ロス・オッホス(オープン・ユア・アイズ 目を開けて)』のはじめのほうに出てくるワンカットと同じ舞台です。その後トム・クルーズが原稿著作権を買い取り、リメイク版制作の際マドリードからニューヨークに舞台を移した時、グラン・ビアの舞台をタイムズ・スクエアに変えましたが、この街角はマドリードのシンボルのひとつということにもなります。『マドリードの謎』はミステリー小説ではありますが、アトーチャ駅、エンバハドーレス通り、王宮、オリエンテ広場、バイレン通りの高架陸橋、マジョール広場、サンタ・アナ広場、グラン・ビア、ラストロ、トレド門、ピカソ・タワーというような土地の人間にはなじみのある通りや、カフェ、タブラオ劇場(フラメンコ舞踏劇場兼酒場)などを舞台に次々と事件が起こっていきます。一方ではマドリードを散策してるような気分になるほど小説のあちらこちらにマドリードの情景が巧妙に描き出されています。『マドリードの謎』の冒頭のページに作者が引用した『マドリードの望郷』ラモン・ゴメス・デ・ラ・セルナは、マドリードをこんな風に語っています。「マドリードはあまりにも空想的な街であるが故にもっともマドリード的な小説はいまだに描写されていないものである。」

     マドリードは他のヨーロッパの主要都市と比べると約4百万人と人口もさほど多くはありませんし、現在では周辺にベットタウンが次々と建設され日に日に大きくなりつつあるものの、面積の比にしてもそれほど大きな都市ではありませんが、他の都市とは違うマドリードならではのマドリードらしさを秘めた個性的な都市であります。グーグル・衛星マップでマドリードを上から見ると、西側の王宮と東側のレティーロ植物公園のあいだのアラビア人の都市構造の特徴である円形旧市街地は赤茶色が密集して見えますが、これは日本で言うマンション形式の集合住宅のほとんどの建物が赤レンガの屋根でできているからです。そんな中では珍しい高い建物などに登ると、マドリードの赤レンガの屋根が続いてひろがり、その向こう側にはカサ・デ・カンポ自然公園の緑や遠くにグアダラマ山脈が見渡せます。マドリードは、ヨーロッパの主要都市の中でも、街路樹が最も多い都市としても知られていますが、緑地帯も広く、野生の鳥類の数も多く、朝方早朝などには鳥のさえずりが聞こえてくるほどです。

     423日の聖・ジョルディの日は国際本の日ですが、セルバンテスとシェイクスピアの命日でもあります(1616年)。二人の巨匠は同じ日付には死んだけれども、実際のところ当時のイギリスとスペインの暦の違いによって多少のずれがあるということです。近年覚えてるところによるとロルカ、ピカソ、ダリなどたくさんの著名文化人の生誕100年祭と銘打っていろんなイベントがありましたが殆んどは週あるいは月単位で終わることが多かったものの、セルバンテスのドン・キホーテ初出版400年祭に関しては、このキホーテの年と銘打って一年間いろいろな企画が催しされたり、多数の『ドン・キホーテ』も出版され、この一年間で『ドン・キホーテ』が一番売れたと言われます。

     キホーテの年と銘打ったキャンペーンは読書推進の意向でも繰り広げられていましたが、ヨーロッパの国々でも出版の多い国の割合にすると国民一人当たりの読書率はまだまだ低いそうですが、読書の量の推進をしている段階であっても、半面販売状況を語る出版関係者によると、ベスト・セラー本は以前より2倍ほど売れてはいるものの、その他の本の売れ行きは半減しているということで、口コミや文学賞などの話題作品は売れるけれども、作者や出版社による本の選択をする読者層の増加までにはいたってないようです。

     

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